はじめに
乳幼児から高齢者まで、どの年代の人にとっても口腔ケアは大切ですが、年齢が高くなるとともに、口腔ケアはより一層重要になってきます。口の機能の低下は全身の病気を招くといわれ、逆にいえば日々のケアにより全身状態を良好に保つこともできるからです。
永久歯の本数は、上下合わせて28本に、親知らずの4本とで32本です。親知らずは、もともと生えなかったり抜歯したりする場合がありますので、永久歯は28~32本ということになります。高齢になるほど総入れ歯や部分入れ歯の人が増えますが、歳をとると歯の本数が少なくなるのは、老化によって自然に抜けるわけではなく、「歯周病」や「虫歯」などの口腔の病気が原因です。
歯のエナメル質は人体のなかでもっとも硬い組織で、適切なケアをすれば生涯自分の歯で食べることが可能です。自分の歯でよく噛むことで、充実した食生活を送ることができますし、噛むことで脳の血流が増えて認知症予防にもなるといわれています。
この記事では、口腔ケアの重要性や、ケアを怠ることで生じる悪影響について解説します。
8020運動-自分の歯を残すことの重要性
今や超長寿国となった日本では、寿命の長さだけではなく、その「質」にも注目し、「健康寿命」をいかに延ばすかが重要課題となっています。高齢期における口腔保健活動のひとつとして、1989(平成元)年に「8020(ハチマルニイマル)運動」が開始されました。
これは厚生省(当時)と日本歯科医師会が提唱する、「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という運動です。20本以上の歯があれば、ほぼ満足のいく食生活が送れるといわれ、「生涯、自分の歯で食べる楽しみを味わえるように」という趣旨で始まりました。
運動の開始時には、「8020」を達成している高齢者(75歳以上の後期高齢者)は、10人に1人に満たない状況でした。その後、達成者の割合は増加傾向をたどっていますが、高齢者人口そのものも増えているため、「8020」に達成していない高齢者も同時に増えているのが現状です。
オーラルフレイル(口腔の虚弱)とは
高齢者の全身の衰弱をフレイルということがありますが、口腔についても「オーラルフレイル」という、口腔内の筋肉の衰えによる悪影響がみられるようになります。オーラルフレイルは、噛む力、飲み込む力、話す力などの口腔機能が衰えることを意味し、老化のサインのひとつとされています。
具体的には以下のように段階を踏んで進行していきます。
- ①社会的・心理的フレイル、自発性の低下、口の健康への関心の低下、歯の喪失リスクの増加(歯周病、虫歯)→口の健康への意識の低下
- ②日常生活での口のトラブル-滑舌低下、食べこぼし、噛めない食品の増加、むせ→食品多様性の低下、食欲低下
- ③口の機能低下-口腔不潔・乾燥、咬合力低下、口唇・舌の機能低下、嚥下機能低下→低栄養、サルコペニア、フレイルの重度化
- ④食べる機能の障害-咀嚼障害、摂食嚥下障害→栄養障害、運動障害、要介護
オーラルフレイルは、医療現場では大きな話題となっていて、口腔の衰えが全身の衰えにつながり、結果的に人とのかかわりの減少にもつながると指摘されています。65歳以上のなんでも噛める人と、あまり噛めない人を追跡調査した結果、噛めない人が要介護になるリスクは1.5倍も高かったという研究結果もありますので、口腔の健康を保つことがいかに重要なのかがわかります。
オーラルフレイル対策
オーラルフレイルの予防や改善には「オーラルフレイル改善プログラム」が有効で、地域の介護予防事業など、口腔機能向上のための教室やセミナーを活用することができます。オーラルフレイル改善プログラムは、実際に口を動かす訓練を行い、口腔機能の改善を目指すもので、準備体操、開口訓練、舌圧訓練、発音訓練、咀嚼訓練の5項目で構成されています。
歯を失う2大原因-歯周病と虫歯
歯はとても丈夫で、加齢の影響を受けにくいとされますが、残っている歯の本数を年代別に調べてみると、50代なかばから徐々に減りはじめ、85歳以上では10本ほどしか残っていないことがわかっています。
これは老化によって自然に歯が抜けていくのではなく、あくまでも「歯周病」と「虫歯」という病気が原因です。
つまり、歯周病と虫歯に気をつけていれば歯を失う可能性は低くなり、高齢になっても自分の歯を多く残し、食べる楽しみを長く味わうことができるということになります。
高齢者に歯周病と虫歯が多い理由
まず、歯周病に関しては、高齢になると残っている歯へのケアが十分でないことがあげられます。歯周病は初期症状がほとんどありませんので、気づいたときにはかなり進行した状態になっているケースが多いのです。
次に、虫歯は子どもの病気と思われがちですが、大人も虫歯にかかります。特に中高年になると歯の神経が細くなるために、痛みを感じにくくなり、虫歯の発見が遅れます。高齢者に関しては「痛みがないので虫歯はない」という思い込みは危険です。
歯周病と虫歯が全身に与える影響
口腔の状態が悪いと、歯を失うだけでなく全身に影響することは、近年よく知られるようになりました。具体的には、口腔の状態と以下のような疾病とのかかわりが指摘されています。
心筋梗塞と脳梗塞
血管に入り込んだ歯周病菌が動脈硬化のリスクを高め、心筋梗塞や脳梗塞の原因となります。歯周病の人は、そうでない人の2.8倍脳梗塞になりやすいといわれています。高血圧症や脂質異常症などの動脈硬化のリスクとなる病気を持っている人は、それらの病気の治療と同時に、歯周病の予防や治療が必要になります。
糖尿病
歯周病は、糖尿病を悪化させたり回復を遅らせたりし、糖尿病も歯周病のリスクを高めることが知られています。また、歯周病による歯茎の炎症は、血糖値を下げるインスリンの分泌を阻害するといわれています。
糖尿病の治療中で薬を飲んで運動もし、食事に気をつけていても、HbA1cのコントロールが悪かった人が、歯周病を治療したところ血糖状態が大幅に改善したという例も多くみられます。
認知症
歯周病は脳にも悪影響を与えることが判明しており、歯周病はアルツハイマー型認知症の発症リスクを高めるといわれています。歯を失ったあとに入れ歯でかみ合わせを取り戻していない人は、自分の歯が20本以上残っている人や、入れ歯で歯のかみ合わせが回復している人と比べて、認知症リスクが1.9倍になるという報告もあります。
誤嚥性肺炎
ものを食べると、口で咀嚼され食道に送られます。高齢になると、食道に入っていくべきものが誤って気管に入ってしまうことがあり、それを「誤嚥(ごえん)」といいます。高齢者で口腔内の清潔が保たれていない場合、口内の細菌が気管から肺に入り誤嚥性肺炎を起こすことがあります。
誤嚥するのは、食べ物や飲み物に限りません。唾液も誤嚥しますので、胃ろうや中心静脈栄養で栄養をとっている人でも、誤嚥性肺炎の危険があります。寝たきりで絶食状態の人にも、口腔ケアは必要ということです。
歯周病と虫歯を防ぐ3つのケア
ここでは、歯周病と虫歯を防ぐためのケア、3つを説明します。
歯科医による定期的なケア
「もう何年も歯医者に行っていない」という声もよく聞かれます。確かに、歯の健康は後回しになりがちな傾向はあるでしょう。しかし、最低でも半年から1年に1回は歯科医院を定期受診し、歯周病や虫歯のチェックをしてもらうべきなのです。
なぜなら歯の病気も全身の病気と同様、初期の段階では自覚症状がありません。歯茎からの出血や歯の痛みが出るころには、症状が進んでいることが多いため、定期歯科検診はぜひ受けたいものです。
歯垢をとり、口内環境を整えることで歯周病は改善が見込めるので、定期的な歯垢除去が必要です。また、歯科医院では歯ブラシの正しい使い方の指導もしますので、自分の磨きかたをチェックしてもらうことも勧めます。
自分でできる毎日のケア
食後に歯磨きをするのはもちろん、歯間ブラシやデンタルフロスで歯のすき間の汚れを取り除くことも必要です。
特に磨きにくいといわれるのは、利き手側の歯の裏側、つまり右利きの人では右裏側、左利きの人は左裏側に磨き残しが多くみられます。また歯並びが悪い部分も、磨き残しが出やすいところです。自分のブラッシングが苦手な箇所を知り、その部分は特に念入りに磨くなどの工夫が必要になります。
磨き残しを自分でチェックできる、歯垢染色剤も市販されていますので、ときどきチェックしてみましょう。綿棒などで歯の表面にこの溶液を塗り、水で口をすすいだあとに赤く染まっているところが磨き残した部分です。歯科医院で経験したことがある人も多いでしょう。
飲み物と食べ物に関するケア
虫歯と歯周病に加えて「酸蝕歯(さんしょくし)」でも歯を失う危険があります。酸蝕歯とは酸性が強いものを食べたり飲んだりすると、その酸の作用で歯が溶ける症状です。近年、酸蝕歯は歯周病、虫歯に次ぐ第三の歯科疾患といわれ、問題になっています。
歯の表面にあるエナメル質は、pH5.5以下の酸性のものに対して弱いといわれています。酸蝕歯は進行が遅いため気が付きにくいのですが、原因となる食べ物や飲み物は身近にたくさんあり、その代表が飲み物では炭酸飲料や栄養ドリンクや果汁飲料で、食べ物では柑橘系果物があげられます。
炭酸飲料の多くはpH2.2~2.9で、かなり酸性度が強い飲み物です。健康によいとされる、酢を使ったドリンクやドレッシングもpH3.0~4.0のものがほとんどです。これらの飲食をいっさいやめるのは現実的ではありませんので、まず酸性の飲料や果物が歯によくないことを認識し、摂取する頻度を減らすこと、口にしたあとは口をすすぐなど気をつけるようにします。
まとめ
口腔ケアを怠ると、歯周病や虫歯で歯を失うだけでなく、全身に悪影響が及ぶことを解説してきました。歯や口のなかを健康に保つことでこそ、食事がおいしく食べられ、人との会話も楽しめるのです。長寿社会において、QOL(Quality of Life=生活の質)の維持または向上のために、口腔ケアは欠かせないものとなっています。
定期的な歯科受診や日常的なケアで、よりよいシニアライフを送りたいものです。