自然死の定義と安楽死について

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はじめに

現代では、長寿がめでたいとは言い切れません。自分では食事ができなくなったとき、認知症で自分自身の意思さえも明確でなくなってしまったとき、生きていることの意味が問われます。

元気なときの本人の意思が明確でないと、家族も医師もただ延命治療を続けるしか方法がなくなってしまいます。生と共に、対局の死の迎え方についても考えていかなければなりません。

一方、日本では本人が望んでも積極的な安楽死は認められていません。しかし、尊厳死という問題もあるので、安楽死についてもっと社会的に論議されてよいでしょう。自然死と安楽死に、また尊厳死も加えて、関連する事項について紹介します。

自然死と安楽死について

自然死と安楽死はどのように違うのでしょうか。ここでは、それぞれの定義を考えてみます。

自然死とは

自然死とは、病気や外傷によるのではなく、全身の臓器の機能が衰えて、自然に死に至ることをいいます。平穏死や老衰とほぼ同じ意味です。

死亡診断書には、死亡の種類の項目がありますが、高齢者が亡くなって、特筆すべき死因がない、いわゆる自然死の場合は、老衰と判断されます。

自然死の主な原因は、臓器の機能低下による「老化」が直接的な原因とされています。
体を作る細胞の組織は、歳をとるごとに増殖ができなくなり、臓器の機能が低下してしまいます。やがて、食べ物を口にすることもできなくなり、栄養などを送り込まない限り、そのまま死に至ります。

安楽死とは

一口に安楽死といっても、指すものはひとつではありません。ここでは「積極的安楽死」と「消極的安楽死」について説明します。

積極的安楽死とは

積極的安楽死とは、致死性の薬物の服用または投与により、死に至らせる行為です。

医療上の積極的安楽死の場合は、患者本人の自発的意思に基づいて、自ら致死性の薬物を服用して死に至る行為、または、要求に応じて、患者本人の自発的意思(意思表示能力を喪失する以前の自筆署名文書による事前意思表示も含む)に基づいて、他人である(一般的に)医師が、患者の延命治療を止めることです。

自分で行う積極的安楽死は、自殺なので犯罪にはなりません。

日本では、他人による積極的安楽死は法律で明確に容認されていないので、他人が積極的安楽死を行った場合は、刑法上殺人罪の対象となります。

ただし、一般的には医師が行う場合、下記の4条件を全て満たすならば違法性を阻却され、刑事責任の対象にならないとされています。

・患者本人の明確な意思表示がある(意思表示能力を喪失する以前の自筆署名文書による事前意思表示も含む)。
・死に至る回復不可能な病気、障害の終末期で死が目前に迫っている。
・心身に耐えがたい重大な苦痛がある。
・死を回避する手段も、苦痛を緩和する方法も存在しない。

これらに関しては、名古屋安楽死事件、東海大学病院安楽死事件の判例があります。

消極的安楽死とは

消極的安楽死とは、予防・救命・回復・維持のための治療を開始しない、または開始しても後に中止することによって、結果的に死に至らせる行為です。

終末期の患者は、延命可能性が全くないか、または余命は長くても月単位なので、世界では、終末期の患者に対する消極的安楽死が広く普及している国もあります。

医療上の消極的安楽死は、患者本人の明確な意思(意思表示能力を喪失する以前の自筆署名文書による事前意思表示も含む)に基づく要求に応じ、または患者本人が事前意思表示なしに意思表示不可能な場合は、患者の親・子・配偶者などの最も親等が近い家族の明確な意思に基づく要求に応じ、治療をしないか、治療開始後に中止することにより、結果として死に至らせることです。

日本の法律では、患者本人の明確な意思表示に基づく消極的安楽死(=消極的自殺)は、刑法199条の殺人罪、刑法202条の殺人幇助罪・承諾殺人罪にはなりません。しかし、法的に認められたものとまではなっていません。

安楽死と宗教

積極的安楽死を法的に認めている国は、プロテスタントの影響が強い国が多く、同じキリスト教でもカトリックは積極的安楽死に強く反対しています。またイスラム教でも同様に、積極的安楽死は殺人とされています。ただしカトリックやイスラム教においても、死期が迫る患者に対して、苦痛を伴う延命治療を中止するという消極的安楽死には必ずしも反対していません。

他人による積極的安楽死を法律で容認している国・地域は、スイス、アメリカ合衆国(オレゴン州、ワシントン州、モンタナ州、バーモント州、ニューメキシコ州、カリフォルニア州)、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、オーストラリア、大韓民国などです。

尊厳死について

安楽死との関連でしばしば話題にされる、尊厳死とは何でしょうか。
ここでは尊厳死の定義と、延命治療の拒否について説明します。

尊厳死とは

尊厳死とは、延命治療がもはや無益と判断された場合、患者が最期のときまで‘自分らしく’尊厳をもって生きるために、本人意思(自己決定)を尊重し、延命治療をやめて死を受け入れることを指します。

公益財団法人日本尊厳死協会では、治る見込みのない病態に陥り、死期が迫ったときに延命治療を断る「リビング・ウイル」(終末期医療における事前指示書)を登録管理しています。

*公益財団法人 日本尊厳死協会
https://songenshi-kyokai.or.jp/living-will

各人が署名したリビング・ウイルを医師に提示すれば、多くの場合、延命治療を施されないことになります。人工呼吸器や胃ろう、胃菅(胃に穴をあけ管により食事を流し込む)などによって「生かされる」のではなく、安らかで自然な死を迎えるために、高齢になり、病を患って自然な死を望む人が署名しています。

その主な内容は
・不治かつ末期になった場合、無意味な延命措置を拒否する。
・苦痛を和らげる措置は最大限に実施してほしい。
・回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)に陥った場合は生命維持措置をとりやめてほしい。
というものです。

自然死と安楽死は今後どうなるか

今後、自然死と安楽死はどのように扱われるようになるのでしょうか。
この項では、法律や社会の動きについて説明します。

終末期の尊厳死容認の法制化

延命治療の中止を求めても、医療機関に受け入れてもらえないケースもあります。

医師は人の命を助けることが使命ですから、人工呼吸器を装着しないことや、それをはずしてしまうことに抵抗があるのです。さらには、医師自身が罪に問われることを懸念するためでもあります。

自分の最期は自分で決めるというリビング・ウイルの精神が生かされるためには、これらの意思を法律で認めてもらう必要性があります。

終末期医療に関する同意書への本人の同意と変更について

延命治療中止についての説明を受けたうえで、同意書にサインすることが求められます。しかし、同意の内容の確認は簡単ではありません。

・本当に正しく内容を理解したうえでの同意か
・うつ病などの精神疾患による一時的な意思表明にすぎないのではないか
・いつの時点の同意を「本人の同意」とみなすべきか
といった注意点について、何度も確認が必要です。

患者によっては、高齢で認知症を患っていることもあるので、説明を本当に理解しているか、慎重に見極める必要があります。

また、精神疾患がなくても、時が経つにつれて患者の意思が変わることは珍しくなく、延命治療に否定的だった人も、病気が進行して考えが変わることは当然あります。最新の意思を絶えず確認することが必要です。

自然死と安楽死についての心構え

死を迎えるにあたって、どのような心構えをもつべきなのでしょうか。
自然死と安楽死の場合について考えてみましょう。

自分ならどのような死に方をしたいと思うか?

どのような死に方をしたいと思うかと問うと、ピンピンコロリという人が多くいます。苦しまないで、人に迷惑をかけずに死にたいということです。老衰とはちょっと違うようです。老衰になる前に死にたいのではないでしょうか。

しかし、苦しんで死にたくはなくても、安楽死まで求める人は少ないでしょう。やはり、死ぬのは怖いものではないでしょうか。

自分が終末期の患者だったら、消極的安楽死についてはどう考えるか?

消極的安楽死とは、予防・救命・回復・維持のための治療を開始しない、または開始しても後に中止することによって、結果的に死に至らせる行為です。自分だとしたら、これを受け入れるかどうか考えてみます。

尊厳死の検討

延命治療がもはや無益と判断された場合、患者である自分が最期のときまで尊厳をもって生きるために、自分の意思を大切にし、延命治療をやめて死を受け入れる尊厳死を選択するかどうかを検討します。

まとめ

本記事では、自然死の定義と安楽死について考えてきました。
ここまでの要点をまとめます。

自然死とは、病気や外傷によるのではなく、全身の臓器の機能が衰えて、自然に死に至ることをいいます。平穏死や老衰とほぼ同じ意味です。

積極的安楽死とは、致死性の薬物の服用または投与により、死に至らせる行為です。
本人の自殺以外では、医療上の積極的安楽死の場合は、患者本人の自発的意思に基づいて、医師が患者の延命治療を止めることです。

消極的安楽死とは、予防・救命・回復・維持のための治療を開始しない、または開始しても後に中止することによって、結果的に死に至らせる行為です。

尊厳死とは、延命治療がもはや無益と判断された場合、患者が最期のときまで‘自分らしく’尊厳をもって生きるために、本人意思(自己決定)を尊重し、延命治療をやめて死を受け入れることを指します。

「患者の意思で延命治療をしないこと(差し控え・中止)」と、「消極的安楽死」との違いは、どのようなところにあるのでしょうか。

医師に患者の命を終わらせようとする意図や目的がある場合は「安楽死」であり、それに対して、患者本人に延命治療拒否の(事前)意思があり、その意思を尊重しよう、患者の苦痛を除いてあげようという意図・目的の下に延命治療を中止・差し控え、患者の意思で延命治療をしないことは、患者の命を終わらせる目的ではなく、尊厳死と考えられます。

患者本人の意思で延命治療をしないことについては、無益な延命治療は中止したり差し控えたりしますが、その患者が生きている限りは、緩和ケアのコンセプトの下に、疼痛緩和のために必要な治療は提供されます。尊厳死では、最期まで緩和ケアを継続することになります。

自然死の定義と安楽死についての3つのポイント

最後に、自然死とは何かという定義と、安楽死について考える際に重要な3点を確認します。
自分はどのように考えるのか、と同時に、その意思をわかるように示しておく必要があります。

人生の最終段階(終末期)について考える。

人生の最終段階には、がんの末期のように、余命が2~3ヶ月と予測ができる場合、慢性疾患の苦痛が繰り返される場合、脳血管疾患の後遺症や老衰などで数ヶ月から数年にかけて死を迎える場合などがあります。

認知症については、認識だけでなく身体症状も悪くなれば末期と考えられるでしょう。

高齢の終末期になって、生命維持措置をつけてでも生きたいと思うか考える。

生命維持措置には、人工呼吸器装着、中心静脈管や胃管などを通した人工栄養補給、腎臓透析などがあります。

終末期の延命治療のあり方については、自分の意思を証書に残しておくこと。

終末期の延命治療のあり方について、話すだけでなく、本人の自筆文書での意思表示が明確であることが必要です。家族も文書がないと困ります。

自分の死は、自殺以外では自分でコントロールできるものではありません。医療は原則的に延命治療を行います。生きる意味ではなく、生きている状態でもなく、単に殺せないという場合もあります。さまざまなチューブにつながれていても、家族も認識できない痴呆状態でも、生です。

今元気な人も、元気なうちから死について考えておくことが必要です。