キリスト教式のお葬式に行ったことはありますか? その時になって初めて故人がクリスチャンであったことを知ることもあるはずです。
宗教によって、死や葬儀に対する考え方は大きく異なります。キリスト教では、仏教における法事そのものはありませんが、追悼儀礼というものがあります。今回はこの追悼儀礼について紹介するので、この機会に知っておいていただければ幸いです。
キリスト教の法事(追悼儀礼)
仏教による法事は、故人の成仏を願って供養を行うものです。一方、そもそもキリスト教には「供養」という概念が無く、そのため仏教で言うところの「三回忌」「七回忌」にあたるような法事の習慣もありません。
但し法事に近いものはあります。それが追悼儀礼や記念式です。キリスト教はカトリック、プロテスタントに分かれていて、儀式の行い方が違います。カトリックでは「追悼ミサ」、プロテスタントでは「記念式」を行います。
キリスト教における死に対する考え方
キリスト教信仰において、死は決して忌み嫌われるもの、縁起の悪いものではありません。カトリックでは人が死んで肉体が滅んでも霊魂は神の御許(みもと)に召されて永遠の生命が始まると考えられ、プロテスタントでは死後は天に召され神につかえるものとなるとされています。カトリック・プロテスタント共にむしろ「死は祝福されるべきこと」とされています。
ヨハネの黙示録は信仰者の死について次のように語っています。
「今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである」、「彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」(黙示録14章13節)
“主に結ばれて死ぬ人は幸いである”と告げています。聖書によれば、死は神様が人に与えてくださる祝福なのだと言っているのです。「彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る」というのは生きる苦しみから解放され天国で安らぎを得るということでしょう。
仏教との相違
日本の仏教の葬儀の大半の目的は「死者を弔う、死者を供養する」ことです。僧侶がお経を読むのは列席者のためではなく、亡くなった人がそのお経を聞いて悟りを開き、成仏するためのものなのです。日本のこのような伝統的葬儀の前提となっているのは、亡くなった人はまだ不完全で、仏などの助けを借りなければならない存在であるということです。ただし、浄土真宗ではやや異なります。
それに対しキリスト教では、キリストを信じて死んだ人は神様の完全な祝福を受けて幸せな状態に置かれていると考えます。もはや死者のために誰かが何かをしてあげる必要は一切ないと考えるのです。ですから葬儀の目的は神様に感謝をささげることになります。キリスト教の葬儀は神様を礼拝するためにささげられるものであって、死んだ人の魂を供養するためのものではないのです。
キリスト教の追悼行事
ただし、キリスト教にも、法事に相当する追悼行事があります。キリスト教派には、キリスト教最大のローマ教皇を中心とする「カトリック教会」、カトリック教会から分離した「プロテスタント教会」、中近東からロシア・東欧に広がった「正教会」など、各教派に所属する個々の教会組織・教団があり、それぞれに異なったマナーや作法があります。
今回は一般的に日本で浸透しているカトリック教会、プロテスタント教会での一般的な追悼行事について説明します。なお、用語としては、カトリックとプロテスタントの違いは次のような点があります。
- ①儀式
カトリックの場合は「ミサ(葬儀ミサ)」と言い、プロテスタントの場合は「礼拝(れいはい)」と言います。
- ②聖職者の呼称
カトリックの場合は、「司祭」=「神父」で、プロテスタントの場合は「牧師」です。また、プロテスタントにはありませんが、カトリックの聖職には階級があり、司教・司祭・助祭の位置付けがあります。
カトリックの追悼ミサ
カトリックでは、法事に当たる儀式のことを「追悼ミサ(追悼式)」と言います。カトリックでは故人の死後、3日目、7日目、30日目に教会で、親族や知人・友人など、故人ととくに親しかった方々を招いて追悼ミサが行われます。追悼ミサでは聖歌の斉唱や祈祷、聖書の朗読などが行われ、その後は教会や家・自宅で茶話会などを行い、故人を偲びます。
また、個人が亡くなってから1年後の昇天日(命日)には、盛大な祭「死者記念ミサ」を行います。これは仏教でいう一周忌にあたる追悼儀礼です。それ以降の儀式に関しては、特に決まりはありませんが、所属している教会もしくは遺族の方々の意向によって、10年目、20年目にミサを執り行う場合があります。
カトリックでは特定の故人に対して行う追悼ミサ以外に、カトリック教会の典礼暦で11月2日を「死者の日」とし、亡くなった全てのキリスト者(死者・元教会員)を記念するための特別なミサが行われます。これは、オール・ソールズ・デイ(万聖節)と言い、前夜のことをハロウィーンのミサの後に墓地の掃除をしたり、墓前に花を捧げてお参りをしたりします。
プロテスタントの記念集会(記念式)
プロテスタントでは法事・法要に当たる儀式(礼拝)のことを「記念集会(記念式)」と言います。記念集会は、故人が亡くなってから7日、10日、30日に、故人が所属していた教会もしくは自宅で行います。その後の記念集会は、1年後、3年後、7年後、10年後の記念日(昇天記念日・命日)などに教会で行われることが多いです。記念式には親戚や知人、友人を招くのが一般的です。
教会で行う場合、式次第に沿って、賛美歌を歌い、牧師の説教を聞き、祈りを捧げます。自宅で行う場合は、牧師や親族、知人友人を招いて、遺影写真や祭壇、十字架などを飾り、祈りを捧げます。どちらの場合も、礼拝の後には、追悼のための「茶話会」などで故人を偲びます。
キリスト教の追悼儀礼に参列するとき
キリスト教の追悼ミサ・記念集会などの儀式には、以下のことを心がけて参列しましょう。
(1) マナー
・案内状への返信は不要
・嘆き悲しむことは控える
・お悔やみや労いの言葉は不要
・故人に関する話は思い出話をする
・数珠は不要
(2) 服装について
キリスト教でのミサや礼拝に行くときの服装には、特に厳しいマナーはありません。仏教のように黒のスーツで行く必要はありません。ただし、派手な服装やアクセサリーは避けた方が良いでしょう。
(3) 献花のマナー
キリスト教式葬儀での献花の作法については次のようなものです。
- ①両手で花を受け取った後、遺族に一礼して献花台に進む
- ②茎を祭壇に向け献花台に捧げる。右手で花側を持ち、左手で茎を持つ
- ③一礼して黙祷
- ④前を向いたまま数歩下がり、遺族に一礼して戻る
キリスト教の御花料(おはなりょう)
仏教式の「香典」は、お香をたく儀式から来た言葉ものです。その仏教の香典にあたるものに、カトリックの場合は「御花料」「御ミサ料」「御霊前」というものがあります。プロテスタントの場合は、「御花料・お花料」「忌慰料(きいりょう)」などと言います。
袋は、水引がかかっていない白無地封筒か「お花料(御花料)」の表書きで、十字架、白百合が印刷された市販の包みを使います。表書きはカトリックとプロテスタントで異なりますので注意が必要です。
キリスト教での御花料の金額は、一般は5千円〜1万円くらいが相場です。ただし、故人との関係によって金額が異なります。親族であれば1万円~5万円程度まででしょう。
聖歌・賛美歌への参加
キリスト教式の特徴である聖歌・賛美歌ですが、これは強制的に参加しなければいけないというものではありません。聞いているだけでも咎められることはありませんが、事前に歌や祈りの一節が書かれた紙が配られるため、できるだけ参加すると良いでしょう。
お悔やみの言葉は不要
キリスト教は仏教や神道とは違い、死に対する考え方が永遠の命の始まりだとされています。そのため、亡くなったことは悲しいことですが、不幸なことではないという意識があります。「安らかな眠りをお祈りいたします」のように、故人の安寧を祈る形が一般的です。
まとめ
故人を供養する法事は仏教によるもので、キリスト教には故人を供養する考え方はありません。そもそもキリスト教には「供養」という概念はありません。キリスト教においては葬儀やその原因である死は決して忌み嫌われるもの、縁起の悪いものではありません。むしろ「死は祝福されるべきこと」とされています。
ですがキリスト教にも法事に当たる儀式があり、カトリックでは「追悼ミサ(追悼式)」、プロテスタントでは「記念集会(記念式)」っと言います。
なお、キリスト教の追悼儀礼ではお悔やみの言葉は不要といったように、仏教とは異なるマナーがたくさんあるので、知っておくといつか役に立つかもしれません。
・キリスト教の法事(追悼儀礼)についての3つのポイント
(1) 仏教とキリスト教では人の死に対する考え方が異なる
人の死は仏教では忌むべきものとされていますが、キリスト教では死は永遠の生命が始まると考えられ、天に召され神につかえるものとされ、むしろ「死は祝福されるべきこと」と考えられています。
(2) カトリックとプロテスタントで違いがある
カトリックでは法事に当たる儀式(ミサ)のことを「追悼ミサ(追悼式)」と言い、プロテスタントでは「記念集会(記念式)」と言います。また、聖職者の呼称はカトリックの場合は司祭・神父で、プロテスタントの場合は牧師です。
(3) キリスト教の追悼儀礼では、嘆き悲しむことも不要
お悔やみの言葉も不要ですが、嘆き悲しむことも不要です。故人を懐かしみ思い出すことで構いません。天国での安らかな眠りや安寧を祈ります。