エンディングノート作成を手伝って、初めて知った父の気持ち「みんなで作るエンディングノート」

相続

最近よく耳にするようになってきた「エンディングノート」。実際に書くつもりになるのは、やはり中高年の方でしょう。
若い人にはまだ、「エンディング」のイメージができないかもしれません。また、中高年でも、実際に作業してみないとわからないことがあるものです。

ここでは、エンディングノートとは無縁と思っていた40代の男性が、父親のエンディングノート作成を手伝ったエピソードを紹介します。

父から突然「エンディングノートを書きたい」と相談された

私は45歳で長男です。75歳になる父から、ある日突然、「エンディングノートを書きたい」と相談されました。
エンディングノートの内容はよく知りませんでしたが、自分には関係ないと思っていたので「いいんじゃないの、書けば!」と答えました。

ところが父は、私にもその作業を手伝ってくれと言うのです。
聞けば、エンディングノートにある、家系調査、ルーツ探しをしたいのだが、その作業がかなり大変なので、手伝ってほしいとのことでした。
「家系調査はお前にとっても意味がある。ルーツを知るのは親子共通の課題だ」と言うのです。

面倒とは思いつつ、私にも自分のルーツを知りたい気持ちはあるので、仕方なく手伝うことにしました。

## エンディングノートとは何?
「エンディングノート」という単語は聞いたことがありましたが、自分の年齢では関係ないことと思っていたので、具体的な内容については知りませんでした。
そこでエンディングノートについてインターネットで調べ、どのようなものかを初めて知りました。

父がしようとしている家系調査、ルーツ探しはエンディングノートの一部で、他にも整理し、まとめることは多いようです。
人生の振り返りは父自身の作業なので、私は家系調査のみを手伝うことにしました。

戸籍から先祖を調べる方法とは?

父は次男です。父の父(私の祖父)の相続のときには、長男である、亡くなった兄(私の伯父)に手続きを任せて、先祖を調べる作業はしていなかったそうです。
そのため、戸籍を追うのは初めてでした。戸籍謄本の取り方から戸籍全体について調べ、手分けして、戸籍謄本を取ることになりました。

戸籍謄本の取り方

直系親族であれば、親族の戸籍謄本を取ることができます。戸籍謄本は、本籍地の市区町村役場、総合支所で取得します。また、遠方の場合は郵送で取り寄せることもできます。

まず、直系親族で直近に亡くなった人の死亡時の戸籍謄本を取ります。その戸籍には、さらに前の戸籍の情報が記載されているので、それを元に戸籍を一つ一つ遡り、出生の記載がある戸籍にたどり着くまでこの作業を繰り返せば、亡くなった人の親、そのまた親にたどり着ける可能性があるということです。

戸籍の種類

戸籍には、「除籍謄本」というものがあります。これは、養子縁組、婚姻、離婚、分籍、転籍、失踪宣告、死亡などで除籍された資料です。
戸籍に記載されている人の全員が除籍されると、その戸籍は戸籍簿から除籍簿に移され、除籍謄本になります。これも見ていく必要があります。
また、「改製原戸籍謄本」というものがあります。これは省令などによって、戸籍の様式が改製(変更)されることがあり、直近のものは、戸籍事務の電算化に応じた改製です。

その改製前の戸籍を改製原戸籍といい、その謄本を改正原戸籍謄本といいます。「
かいせいげんこせき」と読みますが、「げんこせき」というと、「現戸籍」(現在の戸籍)と混同しやすいので、それを避けるために「はらこせき」という人もいます。
この改製原戸籍謄本も追っていかなければなりません。

戸籍制度の歴史

戸籍を取る機会に、戸籍制度の歴史も調べてみました。

最初の全国統一様式「明治5年式戸籍」

戸籍制度ができた最初は、明治5年です。「明治5年式戸籍」(壬申戸籍)とよばれ、日本で最初の全国統一様式の戸籍です。

実施が壬申の年だったので。この戸籍は一般に「壬申戸籍」(じんしんこせき)とよばれています。
戸籍の編成単位は「戸」で、本籍は住所地とされていました。身分登録や住所登録があったので、部落差別の身分表記もあり、現在は公開されていません。

地番制度が採用された「明治19年式戸籍」

次の戸籍様式・戸籍制度の改革は明治19年で「明治19年式戸籍」とよばれています。屋敷番制度ではなく地番制度が採用されました。
本籍を住所としていた点は明治5年式戸籍と同じで、新たに除籍制度が設けられました。

「家」が単位になった「明治31年式戸籍」

その後、「明治31年式戸籍」となり、明治31年に制定された民法(旧民法)で「家制度」が制定され、戸籍は「家」が戸籍編成の単位に変わりました。
明治31年式戸籍の大きな特徴は、戸籍簿と「身分登記簿」制度を設けた点です。身分関係の届出や報告の事項を戸籍簿に書き写すという、手間のかかる制度でした。

「身分登記簿」が廃止になった「大正4年式戸籍」

「大正4年式戸籍」で「身分登記簿」が廃止になりました。それまでの明治31年式戸籍は改製することなく、その効力が認められていましたが、部分的に「明治19年式戸籍」も混在していました。

現行の戸籍法に基づく「昭和23年式戸籍」

「昭和23年式戸籍」により戸籍事務がコンピュータ化され、これが現行の戸籍法に基づく戸籍です。改製される前の戸籍が「改製原戸籍」というものです。

「改製原戸籍」は、「大正4年式戸籍」や「明治31年式戸籍」そして「明治19年式戸籍」ということになります。
また、戦後の昭和22年の民法改正によって「家制度」が廃止されました。男女の平等、個人の尊厳が基本になったことから戸籍の様式も変更されて、編成も夫婦単位となりました。

戸籍の保存期間と、どこまで先祖をたどれるか

戸籍でどこまで先祖をたどれるかについてですが、平成22(2010)年までは、除籍謄本と改製原戸籍謄本の保存期間が80年でした。

2010年の80年前というと、1930(昭和5)年にあたります。平成22(2010)年に見直しがされ、保存期間は150年まで延長されました。
起算となる年は、除籍となった年度の翌年からということになっています。保存期間が過ぎてしまえば、廃棄されるのが原則です。

そのため、昭和4年以前の除籍謄本と改製原戸籍謄本は、廃棄されている場合があります。ただし、一部の自治体では、まだ保存されている場合もあるとも聞きます。

実際に戸籍謄本を追ってみた

まず、父は、父方の先祖の戸籍謄本を追ってみることにしました。

父方の先祖

本籍地は都内のため、祖父の戸籍謄本を申請しました。戸籍筆頭者は祖父です。祖父の生年月日、曽祖父の名前、曽祖父が亡くなった年月日が確認できました。

しかし、役所で言われたのは、区役所も出先の支所も、戦争で爆撃を受け、戸籍関係の書類は焼けてしまい、これ以上戸籍を追跡するのは無理とのことでした。
曽祖父の生年月日、本籍地はわかりませんでした。曽祖父、曽祖母とも、これ以上の追跡は難しくなってしまいました。

私は、母方の先祖を追うことにしました。

母方の先祖

祖父母については母から聞いていて、〇〇県の〇〇市出身であることは知っていました。母の戸籍も追ってみることにしましたが、戸籍筆頭者は長男である兄(私の伯父)の名前の戸籍です。
昔あった家督相続で、母方の祖父は生前に長男に家督を相続し、家族も長男の戸籍に移っている形でした。

そこから郵送で〇〇県〇〇市に戸籍を申請し、祖父の戸籍にさかのぼり、曽祖父、曽祖母の名前がわかりました。曽祖父の本籍地もわかりました。
明治時代のことですが、その先の戸籍は廃棄され、それ以上は戸籍ではわかりませんでした。

ただし、母の話では曽祖父は養子で、自分のルーツを追う場合に、実家を追うのか、養親の家を追うのかが分かりませんでした。
戸籍を追うなら養親の家を追っていくのでしょうが、血のルーツを追っていくなら実家を追っていくのでしょう。

いずれにしても、戸籍では追えないので、作業はここでストップしました。

戸籍以外の情報の整理

父方の戸籍謄本を追う作業がうまくいかないので、父が聞いたことのある父方の祖父母、そして曽祖父母に関する情報を出してもらい、パソコンでまとめていくことにしました。

わかる範囲で家系図も作ってみました。曽祖父母の兄弟姉妹などになると、だんだんはっきりしなくなります。配偶者の関係になると、詳しくはわかりませんでした。

同時に昔のアルバムを出し、父に写真を整理してもらいました。また、母にも協力してもらい、母方の家系情報も整理していきました。
しかし、昔は戦争もあり、写真の数は限られていました。父方の祖父母の家も戦争で焼け、ほとんどの資料を焼失してしまったそうです。

NHKの「ファミリーヒストリー」のようにはとても行きません。NHKのように専門的に人材を投入し、予算を投入して調べることはできないからです。
本当は「ファミリーヒストリー」のように、古文書を調べたり、お寺の過去帳を調べたり、郷土史研究家に話を聞くことができれば面白いのですが。

家のお墓についても話題に

エンディングノート作成を通して、家のお墓についても父と話す機会がありました。家のお墓には祖父母だけが入っていて、曽祖父母からは断絶しています。
曽祖父は早逝し、その後に曽祖母は再婚しました。そのため、祖父は実質的に家系と切れてしまい、父も祖父から、曽祖父のお墓がどこにあるのかも聞いたことがないそうです。
ただし、大阪で生まれて死んだことは聞いているといいます。戸籍が遡れないため、その前のお墓も不明のままになってしまいました。
今のお墓は祖父母からですので、まだ新しい家のお墓といえるでしょう。

お墓を継ぐ人がいなくなったら

両親は、そのお墓に入るつもりのようです。私も同様に、そのお墓に入るつもりでいます。
ただし、私の長男は先祖についての関心も薄く、家のお墓にも関心がありません。無理もないことです。将来、子どもが家のお墓を継がないことも考えなければなりません。

少子化で、お墓を継ぐ人がいないケースが増えていると聞きます。もっともなことです。
生涯独身者が増え、少子化で子どものいない家庭が増え、子どもがいても、他家に嫁ぐ女の子だけであれば、家のお墓を継ぐ人はいなくなります。

お墓を継ぐのが難しい時代がやってきたことと、それも致し方ないことを父と話しました。
父も、そうなったらお寺と相談して、お墓の撤去と合祀墓への移動、お寺による永代供養をお願いするしかないといいます。覚悟を決めたら、気が楽になりました。

エンディングノートの作成を手伝って思ったこと

父のエンディングノート作成を手伝って、家系調査に関わることができました。また、親族関係で知らなかったことも、父から聞くことができました。
そして、ルーツの探求は始まったばかりで、わからないことだらけであることも認識しました。できるだけ父にしてもらいたいのですが、私自身にとってもライフワークになるかもしれません。

そして何よりの収穫は、父の人生を少しは理解できたこと、父と同じ視点に立って、自分の家系についての価値観を共有できたことです。

タイトルとURLをコピーしました