終活の一環として取り組む人が多い「エンディングノート」。
自分の希望や意思を伝えるエンディングノートは、書いている本人のためだけでなく、残された側のためでもあります。
自発的に書いてくれると、残される側としては助かりますが、本人に書く気がない場合はまわりが勧めていくことになります。
すんなり書いてくれるといいのですが、それがなかなか難しいこともあるのです。
私がエンディングノートについて考えるようになったきっかけ
私は約十年前に離婚して、娘を連れて実家に戻り、以来ずっと実家で両親と暮らしています。
私は四十代で、両親は最近そろって七十代になりました。
父は退職してから親戚の会社の手伝いをしていて、母は専業主婦をしています。
両親はまだまだ元気ですが、五年ほど前から、未来の話をすると「そのころ(自分は)まだ生きてるかなぁ」と言うようになりました。
大きな病気をしたわけでも、目に見えて老いたわけでもないのですが、両親なりに自分の年齢に関して思うところがあるのだと思います。
両親がいなくなったら、わからないことだらけ
そのころから、両親がいつまでもいるわけではないのだということを、私自身も意識するようになりました。
そんなある日、婿養子をとって実家で暮らしている友人と話をしているとき、友人が「私、母がいなくなったら、本当に何もわからない。何にもできないかもしれない」と言いました。
町内のゴミ当番のことも、親戚との冠婚葬祭のしきたりに関しても、全部お母さん任せだから今のうちに聞いておかなきゃ、と言うのです。
友人とその話をする前からうすうす思っていましたが、それは私も同じです。
昔から生活費は父の口座から引き落とされていて、母は家のことをやってきました。
私が結婚して家を出てからも、離婚して戻ってきてからも、それは変わりません。
両親がいなくなったら、私にはわからないことだらけです。
家のことも生活のことも、何もわかりません。
親が元気なうちに聞かなければいけないこと
母がよく「お父さんとお母さんの介護が必要になったときのためのお金は、ちゃんとあるからね」と言うのですが、そのお金がどの通帳に入っているのかを知りません。
「○○ちゃん(私の娘)が大学に行くときのお金も残してあるからね」とも言っていますが、そのお金もどこにあるのか知りません。
今のうちに聞かなければいけないことは、まだまだあります。
父が借りている駐車場は「あそこのお米屋さん」に毎月駐車場代を払っていると言っていますが、どこのなんというお米屋さんなのかを知りません。
両親の友達は、あだ名しか知らないので、何かあったときにどうやって連絡していいのかわかりません。
両親のアドレス帳がどこにあるのか知りませんし、スマートフォンに入っているとしてもパスワードを知らないため見ることもできません。
両親が利用しているクレジットカードや月額サービスなど、解約しなくてはいけないものはいくつかあると思いますが、それが何なのか、どうやって解約するかもわかりません。
確かめておかなければいけないことがたくさんあるとわかったとき、私はエンディングノートを思い出しました。
遺言書とは違って、「自分や家族にとって必要なことを記しておくノート」だと聞いたことがあったのです。
エンディングノートでできること
私は、エンディングノートに関して詳しくは知らなかったので、エンディングノートについて調べてみました。
すると、必要な項目を埋めていくタイプのエンディングノートがあることを知りました。
また、自分の好きなノートに好きなように書く人もいるそうです。
これは親の性格や好みによって選ぶといいのかもしれません。
そして、エンディングノートにはいろいろなことを書くことができる、ということも知りました。
たとえば、こんなことがあります。
介護に関すること
認知症などによって自分の意思を家族に伝えることができなくなったときのために、希望する介護の方法や施設などについて
医療に関すること
意識を失ったりして会話ができなくなったときのために、かかりつけの医療機関や普段服用している薬、アレルギーについて
また、延命治療はどこまで望むか、重篤な病気であることがわかったときに告知をしてほしいかどうかなど
葬儀に関すること
望むかたちの葬儀がある場合や、葬儀会社をすでに決めている場合はエンディングノートに書き残します。
葬儀に呼んでほしい人の連絡先や、その人との関係についても書いておくと家族は助かります。
エンディングノートというと、「亡くなった後のためのもの」という印象がありましたが、亡くなる前から活用することができることは初めて知りました。
エンディングノートで家族に伝えられる想い
また、エンディングノートは、事務的なことや手続きに必要なことだけを書くものでもないというのは少し意外でした。
エンディングノートの書き方に決まりはありませんので、自由に何でも書いてよいのです。
自分の生涯を振り返って、自分史を書くことや家系図を書くこともあるのだそうです。
そして、多くの人がエンディングノートに書くのが家族への想いです。
エンディングノートを書いているときには、残す家族のことを強く考えることになりますので、家族への感謝の気持ちや家族に伝えたいことが自然に言葉になるのだと思います。
面と向かって伝えるのは照れくさい言葉でも、エンディングノートになら書き残せそうな気がしますよね。
残された人にとってのエンディングノート
大切な人の死は、残された人に大きな悲しみをもたらします。
長いあいだ献身的に介護や看護をして見送ったとしても、「もっとこうしたら良かったんじゃないか」と悔いることもあります。
介護や看護の悔い
また、本人の意思がわからないときは、家族が決断を迫られます。
いのちにかかわることだと家族はとても悩み、本人にとっていちばん良いと思う結論を出しますが、
「本人は望んでいなかったんじゃないか」
「結局私の自己満足だったんじゃないか」
「もっと良い方法があったんじゃないか」
と悩みます。
エンディングノートに書かれた本人の意思に添って治療や介護をしたり、本人を見送ったりした場合、家族は「本人の希望通り見送ることができた」と納得することができるでしょう。
難しい決断を迫られても、悩みや苦悩は少し減ることでしょう。
どのように人生を終えたいのか、事前に書き記されていると、残された側はとても助かります。
感謝の言葉が残された家族の支えに
また、エンディングノートに書かれた感謝の言葉は、残された家族が立ち直るための大きな支えにもなります。
エンディングノートは選択を迫られたときの助けになりますし、見送った後の手続きをするときにも役立ちます。
それだけでも残された側にとってはとても助かるものです。
そのうえ、エンディングノートに思いが綴られていると、見送ったあとに読み返して温かい気持ちになるのではないでしょうか。
エンディングノートを書いてもらいたい私を阻むもの
両親を見送った後の生活のことや必要な手続きに関してだけではなく、医療や介護に関しての希望も知りたい、ぜひ両親にもエンディングノートを書いてもらいたいと思ったのですが、いざ切り出そうと思うと、これがなかなか難しいものです。
死に関する話題を避ける母
母は、「〇年後にはもう、お母さんはいないかもしれないなぁ」と言うようになってから、死に関する話題を少し避けるようになりました。
久しく連絡をとっていない私の友人の話になり、「連絡しないと、私死んだと思われるかもしれない」と冗談で言っても「やめてよ、縁起でもないこと言わないで」と言います。
それは、母の友人が娘さんを病気で亡くしてから、さらに顕著になりました。
また、母は「〇年後にはいないかもしれない」と冗談めかして言いながら、どこか自分は90歳まで生きると思ってもいるようで、死はまだまだずっと先のことだと思っているように見えます。
部屋にいろいろなものをため込む父
父とはあまりたくさん話をするわけではないので、死や終活に関してどのように考えているかはわかりません。
父は、部屋にいろいろなものをため込むのですが、それが整理されているわけでもないので、書類や取扱説明書など必要なときにすぐに取り出せません。
あるとき「お父さんいなくなったら、どこに必要なものがあるかわからないから今のうちに紙に書いておいてよ」と言ったことがあります。
そのとき、父は「めんどくさいことを言うなよ、今しなくてもいいだろう」と、ひとこと言っただけで今でも部屋はそのままです。
父にエンディングノートの話をしても、そのままのような気がします。
両親がエンディングノートに対してどのように思っているかわかりませんが、「死を意識してから書くもの」だと思っていたら「まだまだ先の話だよ」と言われて終わる気がします。
記入する欄がたくさんあるエンディングノートだとめんどうくさがられる可能性もあります。
どんなきっかけがあれば書いてくれる?
私としては、必要なことを全部書いておいてほしいので、エンディングノートはぜひ書いてもらいたいと思っています。
ただ、いきなりエンディングノートのことを切り出すと、身構えてしまう可能性があります。
切り出すとしたら、父が管理しているパソコンに関することをきっかけにするのが良さそうに思います。
母はパソコンが苦手なので、母が父の月額サービスの解約をするのは無理です。
「私が手続きするから、今のうちにお父さんに書いておいてもらいたい」というところから、ほかに書いておいてほしい内容に関して話題を広げていけば、両親が考えるきっかけになるかもしれません。
年齢を気にして、時にナーバスになりがちな親にエンディングノートをすすめるのは難しいことです。
エンディングノートを悲観的にとらえているのだとしたら、エンディングノートは死の準備ではなく、残された者にとって大切なものになるのだということを伝えられると一番いいのかもしれません。
残った者が困らないように、また、「両親の意思を尊重できるように」エンディングノートを書いてもらいたいのだということをわかってもらうことが大切なのだと思います。
親だけではなく自分から始めても良いのかも・・・
私は今、両親にエンディングノートを書いてもらいたいと願っていますが、私自身もエンディングノートと無関係なわけではありません。
私は四十代ですが、いつ何があるかわかりません。
何かあったときにネット上だけで交流がある方に、誰からどうやって伝えてもらおうか、今のうちに書き残しておく必要があると思います。
私の口座から引き落とされている料金のことや、クレジットカードの解約について、各種保険について、など、書いておかなければいけないことはたくさんあります。
そう考えると、エンディングノートはどの年代でも無関係のものではありません。
親に書いてもらうことを考えていましたが、私は私のエンディングノートを書くことも考えるべきだと感じます。
私はまだ親にエンディングノートのことを切り出せないままですが、深刻にならないように、軽い感じで少しずつ話をしていけたらと思っています。