はじめに
日本の仏教は6世紀に大陸から伝来して以降、様々な宗派に分かれ、独自の発展を遂げてきました。
そこで今回は、仏教宗派の成り立ちや代表的な宗派についてご紹介していきます。
なぜ仏教には宗派がいくつもあるのか?
仏教宗派の起源は開祖である釈迦が亡くなってから、約100年が経過した頃(B.C.E.544)にまで遡ります。
当時、釈迦が残した教義について信者間で解釈や考え方に相違が生まれたことや、巨大化した組織の利権を巡って、釈迦の弟子たちは各々の宗派に枝分かれしていきました。
日本の仏教界隈においても開祖の死後、跡目争いが起こり宗派が分裂していった実例は数多くあります。
宗派と分派の違い
宗教における宗派は、同じ教義を信じる人の集団を指します。
日本の代表的な仏教宗派、日蓮宗・天台宗・真言宗・浄土宗・浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・臨済宗・曹洞宗の8つとされており、日本八宗とも呼ばれています。
また、ここから枝分かれした細かい宗派を分派と言い、現在の日本には十三宗二十八派の仏教団体が存在しています。
日本仏教の主な宗派
日本国内には数多くの宗派や分派がありますが、それぞれ独自の教義を掲げており、名前が似ていても中身は全く異なる場合が多いです。
ここからは日本の主たる宗派と、その特徴についてご紹介していきます。
浄土宗
浄土宗は平安末期に法然によって開かれた宗派で、大乗仏教の流れを汲んだ教義を中心としています。
浄土宗においては、出家したかどうかに関わらず南無阿弥陀仏と唱えれば、等しく阿弥陀仏に救済され極楽浄土に行けるとされており、ひたすらに南無阿弥陀仏を唱える専修念仏が大きな特徴です。
浄土真宗
浄土真宗は鎌倉初期に親鸞が開宗したことで知られています。
親鸞は浄土宗の開祖である法然の直弟子ですが、浄土真宗では肉食妻帯が許されていたり、南無阿弥陀仏を口唱する必要性を否定しています。
親鸞の死後、内部抗争や弟子たちの争いによって衰退しましたが、室町時代後期に蓮如という僧侶が浄土真宗を簡素化したことで勢いを取り戻しました。
蓮如は信者や門徒たちが集まる「講」というコミュニティを形成し、信者間のつながりを重視したため、後に一向宗と呼ばれるようになります。
また、戦国時代末期には織田信長によって弾圧されたため、顕如を中心として日本全国で一向一揆が起きたり、徳川家康による分断工作の被害を受けました。
現在でも二分された西本願寺と東本願寺の対立が続いており、それぞれから幾つもの分派が誕生しています。
真言宗
真言宗は弘法大師と評された空海が平安時代に開宗した宗派であり、インドやチベットで広まった密教宗派の流れを汲んでいます。
また、自力本願という思想を体系化した教義を採用し、宇宙の中心かつ仏の王である大日如来を本尊として神聖視しています。
真言宗の信者の目標は、修行を通じて大日如来に近づくことであり、十分な修行を積めば悟りを開き即身成仏に至れると伝えられています。
そのため、南無大師遍照金剛というお経を唱え、開祖である空海に帰依することも重要視されています。
曹洞宗
曹洞宗は日本三大禅宗の一つであり、鎌倉時代初期に道元によって開宗されました。
道元は久我家という身分の高い公卿家に生まれましたが、幼い頃に両親を亡くしたことで出家を志したと伝えられています。
曹洞宗正伝の仏法を重視しており、座禅を筆頭に本来の仏教における修行を無心で繰り返すことで、悟りの境地に至れるとしています。
臨済宗
臨済宗も曹洞宗と同じく日本三大禅宗の一つで、鎌倉時代に中国の「宋」に渡り、中国臨済宗を学んだ「栄西」(1141年~1215年)によって伝来し、日本で広められました。
臨済宗と曹洞宗の大きな違いは、曹洞宗が「修行こそが仏の道」としているのに対し、臨済宗では修行をして悟りを得ることが、最終目標にされています。
臨済宗は特定の本尊や経典を重視しないため、信仰する本尊は宗派によって異なり、お釈迦様のほか、観音菩薩や文殊菩薩を複数同時に祭ることがあります。
大本山は京都の建仁寺(けんにんじ)で、唱名は曹洞宗と同じ「南無釈迦牟尼仏」と唱え、その意味も同じです。
日蓮宗
日蓮宗は鎌倉時代の僧侶である日蓮を開祖としており、日本仏教の中でも特徴的な教義を掲げています。
日蓮宗の大きな特徴は末法無戒という教えであり、他宗派における細かい戒律を一切無益と切り捨て、その代わりに南無妙法蓮華経と唱えることが成仏につながるとしています。
葬儀の際には僧侶だけでなく参列者も南無妙法蓮華経を復唱し、銅鑼や太鼓の音と共に式が進行するといった特徴もあります。
天台宗
天台宗は先にご紹介した「最澄」を開祖とする密教宗派です。
大きな特徴は「全ての民は等しく仏になれる」とする「法華一乗」の教えを最重要視していて、最澄の死後に天台宗を学び、それぞれ宗派を開いた浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、日蓮宗の日蓮に、大きな影響を与えました。
唱名は他宗派に多い「南無阿弥陀仏」、総本山は比叡山の延暦寺(えんりゃくじ)で、境内はユネスコの世界遺産に登録されています。
法相宗
法相宗は西遊記で有名な玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典を元にして開かれた宗派です。
その後、奈良時代に遣唐使として中国に留学した道昭が法相宗の経典を持ち帰ったことで、日本でも布教が開始しました。
法相宗は唯識論を展開し、悩みや煩悩を自己の心に起因するものと定義したため、他宗派のような布教活動や儀礼よりも、仏教自体の研究を重視しています。
奈良県の薬師寺を総本山としており、現在でも境内には数多くの国宝や重要文化財が残されているため、ユネスコの世界遺産に登録されています。
華厳宗
華厳宗は飛鳥時代に中国人の僧である杜順が開いた宗派です。
杜順は華厳宗の元となった中国華厳宗の開祖でもあり、どちらも仏を超えた存在として万物を照らす毘盧遮那仏を本尊としています。
華厳宗は日本や中国以外にも広まっていますが、その教義は非常に難解なため、悟りに至った者は一人もいません。
現在、日本における総本山は奈良の東大寺であり、そこに建立された東大寺盧舎那仏像などは世界遺産として世界的に有名です。
融通念仏宗
融通念仏宗はインドや中国で普及した浄土教の流れを汲む宗派であり、日本においては天台宗の僧侶であった良忍が開祖となっています。
大阪市にある大念仏寺を総本山とし、良忍が夢の中で阿弥陀如来から「一人の念仏が万人の念仏に通じ融合しあう」とお告げを受けたことで、融通念仏宗が開かれました。
大きな特徴は、「その場で南無阿弥陀仏を唱えれば現世が極楽浄土に変化する」という教義であり、自他の念仏全てに功徳があるとしています。
このような教えは他力往生・速疾往生と呼ばれ、他宗派からの批判もありますが、融通念仏宗においては非常に重要視されています。
時宗
鎌倉時代に没落豪族の子として生まれた一遍によって開かれた時宗は、信者であるかどうかに関わらず南無阿弥陀仏を一度唱えるだけで極楽浄土に行ける、という単純明快な教義を掲げています。
現在の総本山は神奈川県藤沢市にある清浄光寺ですが、開宗当時は総本山や教団は存在せず、一遍や信者が諸国を遊行しながら教義が書かれた札を配ることによって布教を行っていました。
また、一遍は踊り念仏の信仰者でもあったため、信者と共に摺鉦を鳴らしながら陽気に踊る様も目撃されています。