浄土真宗ってどんな宗派なの?その教えや特徴についてご紹介

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浄土真宗とは?

浄土真宗ってどんな宗派なの?その教えや特徴についてご紹介
浄土真宗とは平安時代末期から鎌倉時代初期に武家階級が台頭し、それに伴う仏教改革で生まれた鎌倉新仏教の代表的な宗派の1つで、浄土宗の僧侶だった「親鸞」が宗祖です。
親鸞は師と仰いでいた浄土宗の宗祖「法然」の教えである「浄土往生」を独自に研究し自己研鑽するため、浄土宗と同じく阿弥陀如来を本尊とした浄土真宗を開きました。
親鸞は自らが宗祖になる意思は無く、実際に浄土真宗の教団運営が本格的に始まったのは、親鸞の没後とされています。

室町時代以降は教団が大きな戦乱に巻き込まれ、浄土真宗の総本山が他宗派の攻撃で破壊されるなど、波乱万丈の歴史を歩むことになります。
この記事では浄土真宗の成り立ち始め、宗派ごとの違いや特徴を詳しくご紹介してきます。

浄土真宗は日本で最も信者数が多い宗派

浄土真宗は現存する日本仏教の中で最も信者数が多い宗派です。
文化庁の統計によると、浄土真宗本願寺派は全国で約792万人の信者を抱えており、真宗大谷派も同数に近い791万人の信者がいます。

信者数がこれほど増加した理由にについては諸説ありますが、厳しい修行を必要としなかったことや、誰でも理解できる簡単な教えを掲げていたことが主な理由とされています。

浄土真宗と浄土宗の違いは?

浄土真宗は浄土宗から派生した宗派であり、どちらも本尊は阿弥陀如来ですが、教えの中身は大きく異なります。
例えば、浄土宗は「南無阿弥陀仏と唱えるだけでその者は救われる」という専修念仏を教えの中心にしていますが、浄土真宗では更に簡略化し「念仏は心の中で唱えるだけでいい」と定義しています。

また、浄土宗が出家信者に厳しい戒律を課しているのに対し、浄土真宗では出家の概念がないため細かい戒律もありません。
他にも念仏の読み方や本尊の認識など、さまざまな面において浄土宗とは異なる要素を持っています。

浄土真宗の成り立ち

浄土真宗ってどんな宗派なの?その教えや特徴についてご紹介
現在は国内に広く普及している浄土真宗も、その成り立ちは決して平坦なものではありませんでした。
鎌倉時代の末期に京都の本願寺を総本山とし、正式に宗派を受け継いだ三代門首の「覚如」は、有力門徒の「了源」を中心とした関東の門徒たちと激しく対立することになります。

了源と関東の門徒たちは覚如と仲違いした息子の「存覚」を支持して対立し、教団は事実上の分裂状態に陥りました。
覚如はその後も教団を1つにまとめるために奔走しますが、他宗派からの攻撃や妨害によって、覚如が率いる京都の本願寺派は徐々に衰退していきます。

室町時代以降は戦乱の中心に

室町時代末期からは日本全体が戦乱の世となり、京都も応仁の乱を始めとする武家同士の争いにより、壊滅的な被害を被ります。
同じ頃、浄土真宗の総本山である本願寺は、他宗派から大きな攻撃を受けたため、浄土真宗の信者たちは京都を離れて全国各地を転々としていました。

以後、地方の武家や諸大名の協力を得ながら、飛躍的に信者数を増やすことに成功すると、最終的に浄土真宗は京都を奪還し、新しい総本山として山科本願寺を建立します。

浄土真宗の特徴

浄土真宗ってどんな宗派なの?その教えや特徴についてご紹介
浄土真宗では独自の教えや決まりごとが数多くあります。
ここからは他宗派と大きく違う、浄土真宗の代表的な特徴について見ていきます。

万人救済の思想

浄土真宗は万人救済の思想を掲げる宗派として知られています。
例えば、親鸞の言葉を直弟子たちがまとめたとされる「歎異抄」の中には「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」という言葉があります。

これは人間は誰しも悪人であり「少数の善人が極楽浄土に行けるのだから、仏にすがるしかない大多数の悪人が救われるのは言うまでもない」ということを意味しています。
つまり、「万民は等しく阿弥陀仏に救済される」とする親鸞の思想が言葉の中に現れており、それが浄土真宗の教えにもつながっています。

肉食妻帯の肯定

浄土真宗では、明治時代まで他宗派が禁じていた肉食妻帯を最初から肯定していました。
なぜなら、浄土真宗では万民救済を掲げているため、肉食妻帯を禁じてしまうと、既に肉食妻帯している一般民衆を救えないためです。

また、親鸞は心の中で肉や異性のことを思えば「実際に肉食妻帯しているのと同じことだ」と考え、自ら進んで肉食妻帯を公然と行い、周囲の信者もそれに習いました。

浄土真宗で重要視される3つの経典

浄土真宗ってどんな宗派なの?その教えや特徴についてご紹介
浄土真宗では観無量寿経・仏説観無量寿経・仏説阿弥陀経という3つの経典を合わせた「浄土三部経」が頻繁に使用されています。
それぞれの内容は非常に難解なため僧侶や専門家でなければ理解できないですが、基本的にはどの経典も浄土思想が何たるかについて解説しており、浄土真宗の根本となります。
元々は親鸞の師である法然が、大量にあった経典の中から上記の3つを選び出し、浄土宗の基本聖典としたことが始まりとされていますが、親鸞もそれを忠実に引き継いでいます。

浄土真宗の主な宗派

浄土真宗ってどんな宗派なの?その教えや特徴についてご紹介
浄土真宗は細かい分類まで含めると10以上の宗派を抱えています。
その内、最も信者数の多い2つの宗派と、その関係性についてご紹介します。

浄土真宗本願寺派

浄土真宗本願寺派(本願寺派)は信者の間では「本派」や「お西」の名称で呼ばれる日本最大の仏教宗派で、京都の西本願寺を本山にしています。
本願寺派は宗祖親鸞の墓所がある大谷廟堂を発祥としているため、浄土真宗の本流と見なされています。
念仏は「南無阿弥陀仏」を「なもあみだぶつ」と読み、数珠を持って合掌する時は房を下に垂らし、上部を親指で軽く抑えるのが作法です。

真宗大谷派

本願寺派が浄土真宗の本流であるのに対し、真宗大谷派は分派という位置づけとして「大派」や「お東」と呼ばれることが多いです。
真宗大谷派の本山は信者から根本道場として親しまれている京都の東本願寺で、日本では2番目に信者数が多い仏教宗派です。
参拝の作法や念仏も本願寺派とは若干違いがあり、真宗大谷派は数珠の房を上にして手を合わせ左手側に垂らし、「南無阿弥陀仏」を「なむあみだぶつ」と唱えます。

なぜ東と西で別れている?

浄土真宗が本願寺派と真宗大谷派の二代宗派に分かれているのには理由があります。

というのも、安土桃山時代に天下取りを目指していた織田信長は、宗教勢力も含めて自分に反抗する組織の壊滅を目指しています。
その過程において11代門首の「顕如」は全国の信者に一向一揆を呼びかけ、各大名家と連携することで信長との徹底抗戦を始めました。

織田家と浄土真宗による石山合戦は織田信長の死によって実質の終戦となりますが、その後に全国を統一した徳川家康は、浄土真宗の軍事力を削ぐために西本願寺と東本願寺に分派させました。
以後、西と東の信者間では勢力争いや権力闘争が行われることになりますが、現在では明確な対立関係は存在しません。

浄土真宗の行事

浄土真宗ってどんな宗派なの?その教えや特徴についてご紹介
浄土真宗では年中通して、さまざまな独自の行事が行われていますが、その中でも特に重要とされる行事が2つあります。
ここからは浄土真宗における代表的な行事についてご紹介していきます。

御正忌報恩講

報恩講は宗祖親鸞の命日に行われる行事で、浄土真宗の本山で行われる場合は御正忌報恩講と呼ばれます。
御正忌報恩講は浄土真宗を開宗した親鸞や阿弥陀仏との縁に対して報恩感謝するため、浄土真宗では最も重要な法要として位置づけられています。
御正忌報恩講は西本願寺を始めとした全国の本山で、祥月命日の1月16日を最終日として、1週間に渡り営まれます。

帰敬式

浄土真宗の帰敬式は他宗派おける得度式のことであり、僧侶になるための受戒儀式を指しています。
他宗派では得度式で剃髪して出家しますが、浄土真宗の場合は僧侶も在家信者に含まれるため、カミソリを頭の毛に当てるだけで剃髪は行いません。

ただし、帰敬式では法名を在家のまま授かり、仏教に帰依するのは他宗派と変わりがないため、心を新たにする必要があります。
通常は本願寺派の西本願寺で朝昼の2回行われますが、希望すれば全国の別院や直轄寺院で受けることも可能です。
帰敬式の当日は数珠と冥加金(礼金)が必要なため、あらかじめ担当する寺院での必要物は確認しておきましょう