はじめに
年齢を重ねるに伴って、起きやすいといわれる生活習慣病。生活習慣病になった人の体内には、老化して正常に働かなくなった細胞がたまっているとされています。
順天堂大学などの研究グループは2021年12月、マウスを使った実験で、こうした「老化細胞」を、ワクチンのように免疫を刺激する物質を投与して取り除くことに成功したと発表しました。将来、加齢に伴う病気(加齢関連疾患)の治療につながる可能性もあると期待が高まっています。
老化細胞を除去するとはどういうことか、どんな効果があるのか、ワクチンの実用化の目途なども含め、アンチエイジング最前線の研究についてわかりやすく解説します。
老化細胞とは?
加齢や肥満に伴う病気は、臓器や血管などに「老化細胞」がたまり、慢性的な炎症が引き起こされて発症し、進行することがわかってきています。
役に立たなくなった細胞は通常であれば、免疫の働きによって排除されてなくなります。ところが、「老化細胞」は、細胞分裂を停止したあと、細胞死せずに臓器や血管の中に蓄積します。
その結果、慢性的な炎症が引き起こされ、糖尿病や動脈硬化といった生活習慣病やアルツハイマー型認知症など、さまざまな加齢関連疾患の原因になると言われています。
タンパク質「GPNMB」に注目
順天堂大学などの研究グループは、「老化細胞」の表面に「GPNMB」と呼ばれるタンパク質が多く現れる特異な現象に注目。動脈硬化のある高齢マウスの血管や内臓脂肪に、GPNMBの発現が増加していることを確認しました。
そして免疫の働きにより、このタンパク質を標的にして攻撃することで、「老化細胞」を取り除けるのではないかと考えたのです。
マウスを使った実験で、人工的に作った「GPNMB」の断片をワクチンのように投与したところ、免疫細胞が刺激されて異物を取り除く抗体が作られ、実際に「老化細胞」を除去することができました。
「老化細胞除去薬」の現状と課題
蓄積された「老化細胞」を除去することで、加齢関連疾患の改善が期待されていますが、その仕組みはどうなっているのでしょうか?
老化細胞を選択的に除去する手法は、「セノリシス」と呼ばれていて、これまでにも数々の「老化細胞除去薬」が開発されてきました。
ただし、標的となる老化細胞のみを除去する薬剤の開発には課題がありました。というのも、除去すべきでない正常な細胞まで取り除いてしまうことがあるため、副作用が懸念されていたのです。
そこで、順天堂大学などの研究チームは、薬剤ではなくワクチンによって、セノリシスを実現しようと考えました。つまり、「老化細胞除去ワクチン」の開発です。
なぜワクチンなのか?
ワクチンというと、インフルエンザや新型コロナウイルスの例をイメージする人が多いでしょう。
老化した細胞を除去するのに、なぜワクチン? と疑問に思われるかもしれません。
でも、改めて考えてみましょう。病気の原因(蓄積した「老化細胞」)に対する抗体をつくり、この抗体によって病因である老化細胞を除去するという手法は、まさに「ワクチン」そのものなのです。
老化細胞を除去する仕組みとは?
本来、役割を終えた細胞は免疫によって除去されますが、「老化細胞」は消えずに蓄積してしまいます。このやっかいな状態を改善するためには、前述したように、老化細胞のみを選択的に除去する「セノリシス」の手法の開発が必要でした。
まず、老化細胞に特異的に発現する老化抗原が何であるかを決定しました。抗原とは、病原菌やウイルスなど(ここでは老化細胞)に対して免疫反応を引き起こす目印(マーカー)と考えてください。
研究では、老化したヒト血管内の皮細胞を実験対象として、遺伝子情報を網羅的に解析。そこから得られた候補から、「GPNMB」というタンパク質が、細胞老化の目印となる抗原(からだの中に侵入してきた異物)となることを突き止めたのです。
老化細胞除去ワクチンのメカニズム
こうして取り組んだのが、「GPNMB」を標的とした「老化細胞除去ワクチン」の開発です。
ワクチンの正体は、GPNMBタンパク質の配列の一部であるペプチド(鎖状につながったアミノ酸の集合体)。このペプチドを投与(接種)することにより、老化抗原のGPNMBに結合し、白血球などの免疫細胞がそれを異物として認識して攻撃、老化細胞が除去されるというメカニズムが働くのです。
これは、がんのワクチンとして知られる「がんペプチドワクチン」と同じ仕組みと考えられます。
「老化細胞除去ワクチン」が実用化されれば、加齢関連疾患の治療・改善につながる可能性が期待されています。
研究の成果論文が、「Nature Aging」誌のオンライン版(2021年12月10日付)で公開されると、国内外から多くの反響があったそうです。
老化細胞除去ワクチンの接種で得られる効果
「老化細胞除去ワクチン」のマウスへの接種実験で、いくつかわかったことがありました。
報告書によれば、肥満に伴う糖代謝異常(糖尿病)や動脈硬化になったマウスでは、症状が改善しました。
また、老化したマウスでは、加齢に伴う身体機能の低下(要介護状態になる手前のフレイルの進行)を抑えることができました。
それに加えて、遺伝性早老症のなかでも症状の重いハッチンソン・ギルフォード症候群(低身長や成長遅延など症状が特徴的で、早く老化が進む難病)のマウスにワクチンを接種したところ、寿命が明らかに延びたことが確認されています。
さらに、超高齢のマウスにワクチンを接種すると、約2か月後には毛並みがふさふさしてきて、活動が活発化することもわかりました。
どんな病気の治療が期待できるか?
今のところ、「老化細胞除去ワクチン」の効果は、マウスでの動物実験でしか確認できていません。
しかし、ヒトが中年期にこのワクチンを打てば、将来的には、加齢に伴って増える加齢関連疾患の治療・改善につながるほか、老化に伴う身体機能の低下を抑えられる可能性があると考えられています。
加齢関連疾患には、変形性膝関節症、アルツハイマー型認知症、心不全、慢性肺閉塞性肺疾患(COPD=慢性気管支炎や肺気腫など)、腎障害など、さまざまな病気が挙げられます。
今後は、ヒトに投与する臨床試験が計画されています。
高齢社会が進展するなか、ますます加齢関連疾患の患者が増えることが予想され、老化細胞除去ワクチンへの期待が高まっています。
安全性は担保されているのか?
これまで、「老化細胞除去ワクチン」のように、病的な「老化細胞」を副作用なしに、選択的に除去する方法はありませんでした。
従来の「老化細胞除去薬」は、既に米国を中心に世界中で開発が進められています。
たとえば、白血病の治療などに用いられる抗がん剤のダサチニブと食品成分のケルセチンを組み合わせた薬で、ヒトへの投与が始まっているものもあります。
開発されている老化細胞除去薬のほとんどは、抗がん剤を利用したタイプで、正常な細胞にも悪影響を与えることが懸念されています。
それに対して、「老化細胞除去ワクチン」が標的にする「GPNMB」という老化抗原は、老化細胞に特異的に発現していて、正常な細胞にはほとんど見られません。
したがって、接種による副作用も最小限にできると考えられているようです。
すでに老化細胞除去薬との比較実験では、老化細胞除去ワクチンの副作用が少ないことや、効果の持続時間が長いことなどが確認されています。
経済性や効率性の高さ
「老化細胞除去ワクチン」には、安全性だけでなく、開発コストを抑えやすいというメリットがあります。
ワクチンは1回接種すれば、効力が続く限り、本来その人が持っている免疫機能が強化されます。つまり、長期間老化細胞が除去され続け、蓄積しにくくなるというメリットもあるのです。
このように、安全性に加えて、経済生、効率性を兼ね備えている点が、老化細胞除去ワクチンの特性といえるようです。
現在国内外で接種が進められている新型コロナウイルスワクチンのような、生産が安価で比較的簡便なmRNAワクチンのタイプにすることも、検討されています。
実用化の目途はいつ?
研究グループを率いる順天堂大学の南野徹教授によれば、少なくとも5年以内に、「老化細胞除去ワクチン」のヒトへの安全性を確認する臨床実験に入りたいとしています。
現在順天堂大学では、老化細胞除去ワクチンとそれに関連する技術をベースにした研究開発の大学発ベンチャー企業を創設する計画が進められています。
「Nature Aging」誌オンライン版での論文発表以降、海外のベンチャーキャピタルなどからも多数のオファーがあるそうで、オンラインで面談をしているところです。
「社会的インパクトの大きい研究分野だけに、信頼できる多くのビジネスパートナーと共同で事業を実現していきたい」と、南野教授は同大学のホームページで語っています。
実用化の日は、それほど遠くないかもしれません。
まとめ
以上見てきたように、「老化細胞除去ワクチン」には、加齢に伴って増える加齢関連疾患の治療・改善や、老化による身体機能の低下の抑制など、さまざまな効果が期待されています。
また、安全面や経済面などでも、従来の老化細胞除去薬と比べて、メリットがあることもおわかりになられたでしょうか。
加齢関連疾患のなかでも、認知症の患者は現在、世界で5500万人を超えました。
日本でも2025年には65歳以上の5人に1人が認知症に罹患し、そのうち7割がアルツハイマー型であると推定されています。
「老化細胞除去ワクチン」は、アルツハイマー型認知症の治療薬開発につながる可能性が大きく、今後、ヒトへの臨床応用が期待されています。
人生100年時代です。
超高齢社会を迎えた日本において、人々の健康寿命を延ばす可能性のある「老化細胞除去ワクチン」の実用化が待たれています。