天台宗ってどんな宗派なの?その教えや特徴についてご紹介

宗教・宗派

天台宗は仏教宗派の一つなので、歴史の授業で習ったことがある人は多いかもしれません。ですが、「天台宗はどんな宗派なの?」と聞かれると詳しくは分からない人が多いのではないでしょうか?この記事では、天台宗の教えや経典、本尊などについて説明します。天台宗の特徴を知りたい人は、ぜひ参考にしてください。

天台宗とは?

天台宗は6世紀に中国で発祥した大乗仏教の宗派の一つで、中国の僧である智顗が開祖とされています。中国にある天台山という山で修行をして天台宗の教えを確立したので、智顗のことは「天台大師」といい、教えを「天台宗」と呼ぶようになりました。

日本で天台宗を開いたのは、平安時代の最澄という僧侶です。最澄は奈良や京都の寺院で他の僧侶たちと交流したり講習会を開いたりして天台宗の研究をしていました。社交性があり、研究熱心だった最澄は804年に遣唐使のメンバーに選ばれ、中国天台宗の総本山である天台山に行くことになったのです。最澄は中国で天台宗を学んだ天台宗の教えに、禅や戒律、密教という仏教の教えを織り交ぜて、最澄らしさのある天台宗を確立していきました。

総本山は比叡山延暦寺

天台宗の総本山は、日本仏教の母山とされる比叡山延暦寺です。最澄が806年に比叡山で天台宗を開きました。最澄は遣唐使として中国に渡る前から比叡山の小さな草庵で修行をしていましたが788年に一乗止観院を建て、これが現在の根本中堂(国宝指定)となっています。

延暦寺という寺号が嵯峨天皇から付けられたのは、最澄が亡くなった翌年の823年です。1200年の歴史がある比叡山延暦寺は、1994年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。現在はケーブルカーやドライブウェイが整備されているので、気軽に散策することができます。

延暦寺は一つの寺院を指しているわけではありません。比叡山を東塔、西塔、横川(北側)の3つの区域に分け、それぞれに本堂があります。塔は3つだけでなく、多い時には3000以上の塔があったとされています。延暦寺は仏教の総合大学のような位置づけで、多くの僧侶が修行をしていました。浄土宗を開いた法然や臨済宗を開いた栄西、曹洞宗を開いた道元、日蓮宗の日蓮など有名な僧侶も輩出しています。

織田信長に疎まれ、徳川家に重宝された歴史

比叡山延暦寺は強大な勢力を持っていました。寺院でありながら武家への闘争に関与したことが発端で織田信長と対立した結果、延暦寺は焼き討ちされてしまったのです。その後、寛永寺を開山し、徳川家康の側近となった天海大僧正が延暦寺の復興に尽力して再建されました。

再建されたのは徳川家光の時代です。1634年から根本中堂の再建が開始されて、1641年に完成しています。徳川家光が天海大僧正を崇拝していたことから、江戸時代には天台宗が勢いを増しました。徳川家が信仰した宗派であったことが、関東地方に天台宗の寺院が多い理由とされています。

天台宗の教えとは?

最澄の天台宗の教えは「人々はすべて平等で、成仏できる」というものです。この教えの根源となるのが、「円・密・禅・戒」の4つの要素をもとにした「四宗融合」という考え方です。

「円」とは中国天台宗の教えで法華経の一乗思想がベースとなっています。一乗思想は「すべての人は1つの乗り物に乗っていて、みんな成仏できる」というもので、最澄は一乗思想こそが真実であると主張していたようです。「密」は天台密教のことを指し、「生きたまま悟りを開いて即身成仏できる」という教えです。

「禅」は坐禅などの修行を通じて悟りを自らの身で追体験することを意味し、教えを実践するために最澄が大切だと考えていました。「戒」は仏教の戒律や受戒のことで、天台宗では「修行すれば仏になれる」という大乗戒を主張しています。最澄は限られた人だけが成仏できる考えではなく、禅や戒律を守れば、みんなが成仏できるという教えを広めたかったのです。

天台宗の経典は法華経

天台宗の経典は法華経です。法華経は、すべての人が仏になると説いたお経で、仏になるための教えをまとめています。天台宗では法華経の教えを根本としており、そのことを「法華一乗思想」と呼んでいます。法華経自体は紀元前1世紀頃に考えが形成され、紀元前後に文章化されたとされています。インドから東アジアで広まり、チベット、ウイグル、モンゴル、朝鮮などの言語に翻訳されています。天台宗では法華経の他にも「阿弥陀経」を重視しており、朝は法華経を中心におつとめをし、夕方は阿弥陀経を中心におつとめをしています。

天台宗の本尊は?

天台宗の本尊は阿弥陀如来や釈迦如来が多いですが、さまざまな教えを融合させた宗派のため本尊は決まっているわけではありません。寺院によって本尊は異なりますが、釈迦如来をまつっている寺院が多いです。釈迦如来は仏教を作ったお釈迦様のことで、阿弥陀如来は他力本願やあみだくじの由来になっています。

真言宗との違いとは?

真言宗は天台宗と同じ密教系の宗派ですが、いろいろな教えを融合した天台宗と異なり、真言宗は密教のみを教えとしている宗派です。真言宗を開いたのは弘法大師空海であり、「即身成仏」を教えの中心としています。真言宗では大日如来を本尊とし、大日如来を自分の中に感じることで悟りを開くことができるとしています。空海は大日如来を感じるために山林での厳しい修行が重要であり、悟りを開くための唯一の方法であると考えたのです。

天台宗の有名な寺院

天台宗の総本山である比叡山延暦寺以外に有名な天台宗の寺院があります。天台宗の有名な寺院として寛永寺や三千院、中尊寺、善光寺について説明します。

寛永寺は比叡山や日光山と並び、江戸時代には天台宗三大本山の1つでした。徳川家光の時代に江戸城鎮護の祈願所として寛永2年に竣工したので、寛永寺と名付けられました。幕末の戦争によってほとんど焼失し、ほとんどの土地が現在の上野公園となっています。本尊は薬師如来で、両界曼荼羅図や愛染明王図などの寺宝が多くあります。

三千院は、延暦7年に伝教大師が開いた京都市左京区にある天台宗の寺院です。境内の極楽院にまつられている国宝の弥陀三尊や脇士の観音・勢至菩薩が非常に有名です。本尊は薬師如来(秘仏)で、池泉鑑賞式庭園の聚碧園などで四季の経験を楽しむことができます。

中尊寺は関山中尊寺といい、岩手県の平泉町にあります。嘉祥3年に慈覚大師円仁が手刻の仏像と書写如経を安置したことから創建された寺院です。源頼義と義家が寺領を寄進し、貞観元年に清和天皇によって中尊寺という寺号が与えられました。有名な金色堂以外にも3000ほどの国宝や重要文化財を保有しており、平安美術の宝庫として知られています。

善光寺は定額山善光寺といい、長野市元善町にあります。本尊であり、秘仏である一光三尊の阿弥陀如来は日本最古の仏像とされています。一光三尊の阿弥陀如来は6世紀に百済の聖明王から伝えられたもので、1つの光背の中に阿弥陀・観音・勢至の三尊が経たれる姿を意味します。天台宗と浄土宗の本山であることが善光寺の特徴です。

まとめ

比叡山延暦寺を総本山とする天台宗は、最澄によって平安時代に開かれました。「人々はすべて平等で、成仏できる」という天台宗の教えをもとに、修行すれば仏になることができることを最澄は主張していました。最澄の考える天台宗は様々な教えを融合したもので、のちに徳川家が信仰したため、関東地方に天台宗の寺院が多くあります。

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