仏壇には立派な扉(戸板)がついている。
この扉は、朝になったら開けるのか、夜になったら閉めるのか、はたまた常に開けっ放しで良いのか。これは多くの人が抱える素朴な疑問である。
結論から言えば、仏壇の扉の開閉に、全国共通の絶対的なルールは存在しない。
「家庭の小さなお寺」である仏壇の扱いは、宗派の考え方、地域の慣習、そして何よりもその家の生活スタイルに委ねられているのが実情だ。
しかし、多くの家や宗派が「閉めるべき」「開けておくべき」と考える特定のタイミングが存在する。
その背景にある仏教的な意味合いや、日本の文化との混同、そして実用的な理由を掘り下げていく。
1. 仏壇の扉は何のためにあるのか
まず、仏壇に扉が設けられている根本的な理由を理解する必要がある。
仏壇は、単なるご先祖様の遺影や位牌を置く棚ではない。それは、「寺院の本堂(内陣)を家庭内に再現したもの」という考え方が基本にある。
1-1. 仏の世界と現世の境界線
お寺の本堂は、ご本尊を安置する内陣(ないじん)と、参拝者が手を合わせる外陣(げじん)に分かれている。
仏壇の扉は、この内陣と外陣の境界線、つまり、「仏様(ご本尊)やご先祖様の世界」と「私たちが暮らす現世」を隔てる結界の役割を果たしている。
扉を開ける行為は、「仏の世界」と「人間の世界」を繋ぎ、ご本尊やご先祖様に向き合うための儀式的な意味合いを持つわけだ。
1-2. 伝統的な二重扉の意味
伝統的な金仏壇や唐木仏壇には、外側に「大戸(おおと)」、その内側に格子や紗(しゃ)が張られた「障子(しょうじ)」という二重扉がついていることが多い。
これは、昔の日本家屋の窓が、雨風や直射日光を防ぐ「雨戸」と、採光・通風のための「障子」で二重になっていたのを模していると言われる。
つまり、「お寺でもある」仏壇をご先祖様が安らかに暮らす「家」に見立て、「雨戸」としての扉は完全に遮断し、「障子」としての内側の扉は光や風を通しながら神聖さを保つという実用性と敬意が込められているのだ。
2. 扉を「閉める」べきとされる主なタイミングと理由
仏壇の扉を閉めることには、大きく分けて「日常の配慮」「儀礼的な区切り」「実用性」という三つの理由がある。
2-1. 日常的な習慣:「夜に閉める」
最も一般的な習慣は、「朝開けて、夜に閉める」というパターンである。
これは、一日の始まりにご本尊やご先祖様に「今日も見守ってください」と挨拶し、一日の終わりには「今日も無事に過ごせました」と感謝の念を込めて、お休みいただくという意味合いを持つ。
また、お寺が夜間に本堂の扉を閉めるのと同じように、防犯や静謐さを保つという意味も含む。
この習慣は、日々の生活にご先祖様への敬意を組み込む、丁寧な暮らし方と言える。
2-2. 儀礼的な区切り:葬儀から「四十九日まで」
家族に不幸があった際、葬儀から四十九日の忌明けまでの間、仏壇の扉を閉める家庭は多い。
これにはいくつかの理由があるが、宗派によって考え方が大きく異なる、最も議論の分かれる点だ。
- 神道との混同:人の死を「穢れ(けがれ)」とする神道の考え方(神棚封じ)が混ざり、死の期間は仏様の世界を遮断すべきと考える風習が生まれた。仏教本来の教えではないが、日本の民間信仰として広く行われている。
- 故人の成仏:故人の魂がまだ仏壇に入る準備ができておらず、中に入るご本尊やご先祖様との混同を防ぐため。この期間は、通常、白木の仮祭壇(後飾り壇)で故人の位牌や遺骨を供養する。
- 敬意の欠如の回避:葬儀や法要で家の中が慌ただしくなり、仏壇の前を頻繁に人が横切ったり、ご本尊にお尻を向けるような行為が増えるのを避けるため、一時的に扉を閉めておくという配慮である。
2-3. 実用的な理由:埃・直射日光の防止
仏壇の扉を閉める、あるいは内側の障子だけを閉じるという行為には、極めて実用的な理由がある。
- ホコリ・湿気:長期間開けっぱなしにすると、仏壇内部の繊細な金箔や漆塗りの部分にホコリが溜まり、劣化の原因となる。また、お供え物の水気などによって湿気がこもるのを防ぐため、普段は閉めておき、時々開けて風を通すという方法もある。
- 直射日光:仏壇の金箔は紫外線に弱く、直射日光に当たると退色してしまう。日中の西日や強い光が当たる場所に仏壇がある場合、日焼け防止のために扉を閉めることは、仏壇を長持ちさせるための合理的な措置である。
3. 宗派による仏壇の扉の考え方の違い
「扉の開閉に絶対の決まりはない」と言えども、宗派の教義によって「開けっぱなし」を推奨するか、「閉める」習慣があるかという傾向は存在する。
3-1. 【開けっぱなし推奨派】浄土真宗
浄土真宗(本願寺派・大谷派など)では、基本的に仏壇の扉は常に開けておくのが正しいとされる。
理由: 浄土真宗の教えでは、阿弥陀如来は「常に私たちを救い、見守ってくださる」と説かれる。この阿弥陀如来の「絶え間ない働き」を遮断することは本意ではない。また、仏壇に祀られるのは阿弥陀如来の名号(みょうごう)や仏像であり、故人ではないため、死を「穢れ」として扉を閉める必要がないと考える。
したがって、葬儀や四十九日の間も、扉を開けたままにすることが一般的である。
3-2. 【閉じる習慣がある派】真言宗、曹洞宗、臨済宗など
真言宗、曹洞宗、臨済宗などの宗派では、朝開けて夜閉める、あるいは仏事以外は閉じるという習慣を持つことが多い。
理由: これらの宗派では、仏壇は「ご本尊が鎮座する神聖な場」という意識が強く、日常生活の雑多な風景からご本尊を静かに守り、境界を設けるという意味合いがある。
また、四十九日までの期間は、まだ仏になっていない故人の霊が、ご本尊の場に入り込むのを防ぐため、扉を閉じるという考え方がある。
3-3. 浄土宗、日蓮宗など
浄土宗や日蓮宗なども、ご本尊(阿弥陀如来や曼荼羅)に手を合わせることを重視するため、本来は開けっ放しでも問題ないとされるが、地域や家庭によっては、真言宗などと同様に「四十九日まで閉じる」「夜は閉じる」という習慣を採用しているケースも多い。
4. まとめ:現代の生活と「心の雨戸」の開閉
仏壇の扉の開閉は、家ごとに自由であるという大原則に変わりはない。
しかし、仏壇をただの「箱」ではなく、「故人や仏様との心の交流の場」として捉えるならば、開閉の行為そのものに意味を持たせることが大切だ。
扉を閉めるという行為は、ご本尊やご先祖様を敬い、神聖な空間を休ませ、守るための「心の雨戸」である。
- 開けるタイミング:朝の挨拶、お参りをする時、法事・お盆など家族が集まるとき。
- 閉めるタイミング:就寝前、長時間の外出時、大掃除の際、四十九日の忌中(宗派・慣習による)。
結論として、あなたの家が代々付き合っている菩提寺(もしあれば)に直接確認するのが最も確実である。
もし特定の宗派にこだわらず、現代の生活スタイルを重視するならば、「朝晩の挨拶として開け閉めする」「日焼けや安全のために閉めておく」といった、あなたの家が無理なく続けられるルールを作ることが、何よりも故人と仏様への誠実な供養となるだろう。